ピンクとグレーと二次創作その2
引き続きピングレの話、「映画という二次創作における解釈」と「一読者であるわたしの頭の中という二次創作における解釈」について語ります。
わたしはずっとピンクとグレーの映画を観たいと思っていたけど(シゲとの握手のときに「ピングレ映画化楽しみにしてます!」と口走ってしまうほどに)、じゃあどういうピンクとグレーを観たいと思っていたのかなって改めて考えてみた。
すっごい自分勝手なこと言ってるのでご注意ください。マジで。
映画「ピンクとグレー」は、出来の良し悪しや原作との乖離は置いておいて、このキャラクター造形であればこんな関係性や展開になるのは自然で、とてもよくわかる。もしくはこのストーリーにはまるピースとしてのキャラクター造形はこうでなくてはならなかった、とか。
魅力的でないりばちゃんをごっちは親友にしないし、壊れそうに繊細でないごっちをりばちゃんは守らないし、普通の子のサリーは凡人のりばちゃんに寄り添うし、姉のように芯のないサリーをごっちは愛さないし、堂々としたカリスマのあるごっちが比較対象になってしまったりばちゃんは周囲に「お前は白木蓮吾にはなれない」って言われるし、ごっちの「やらないなんてない」理由は全て姉への思慕に帰結するからりばちゃんはごっちのことが理解できないし、同じ位置に立てないりばちゃんをごっちは突き放すし、だから最終的にごっちと同化しないりばちゃんは死ねないで生きる。
流れとしては綺麗にまとまってるんですよね。無理がない。なるべくしてそうなる。
ただ、原作とは違うキャラ設定をしておいてところどころ原作にある場面を捩じ込んでもくるから、そこだけつじつまが合わなくてぶれに繋がってるとも思う!
だって「りばちゃんのことをどうでもいいと思っているごっち」ならそもそも「死後のことをりばちゃんに託したりなんかしない」。そこまでの関係性も信頼も築けていないから。自分との違いを思い知らせて、才能ないから現実見ろって言いたかったのなら放っておけば勝手に消えただろうに一躍時の人にしてあげちゃうし、じゃありばちゃんを有名にしてあげたい気持ちが本心だったのかと言えば全くそうは思えないし、ごっちは結局何がしたかったんだろう、ラストのごっちの部屋における裕翔と柳楽くんとのかけあいシーンで完全にわからなくなった。でもわからないのが正解ってこともある?
「小説版ピンクとグレー」を元に、独自解釈で二次創作されたのが「映画版ピンクとグレー」だったわけですが、その解釈がわたしと合わなかったのは先にお伝えした通りです。
で、だったらわたしの解釈とはなんぞや? っていうことになってきますよね。批判だけして自分の考えを明かさないのはフェアじゃない気がする。撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ!
わたしは、高校時代のりばちゃんはかっこいい人なんだと思ってました。ごっちに対してコンプレックスが芽生えるのは芸能界に足を突っ込んでからで、それ以前はむしろりばちゃんのほうがごっちよりほんの少し先を行く余裕のある感じ。りばちゃんは自分がごっちに負けてるとは全然思ってない。ごっちのことをどこか庇護対象のように感じていて、それはアヒルや毛虫や流星のエピの積み重ねがあるから成立する。だからこそ、芸能界という場所において、ごっちとの距離が開いてしまったことに焦る。
ごっちは美しい人。周りを惹きつける天性のオーラとともに、何かの拍子に壊れてしまいそうな脆さも併せ持つ危うさのある人。その繊細さは芸能界で生きるにはむいていない気質で、だからこそ彼は擦り減ってしまい、自分を見失いかけ、完全に透明になる前に死を選んだのではないかなと思う。ごっちはりばちゃんを信じている。りばちゃんならできると思っている。僕ができたことを君ができないはずはないよ、って思ってる。だからこそ、自分の死んだ後にりばちゃんを有名にしようとする。
彼らが離別を迎えたのはごっちが勝手に引っ越しを決めた際の口論で、決定的だったのは「サリーがそれを知っているか否か」だった。原作のりばちゃんはサリーに恋をしてなくて異性の友人でしかない。あくまでもわたしの解釈としてだけど、りばちゃんは無意識のうちにサリーに対抗心を抱いてて、ごっちの一番が自分ではなかったことに対する衝撃がりばちゃんの心を砕く一打になった。「それは恋とか愛とかのたぐいではない」けれど、りばちゃんは自分こそがごっちに一番近しいものでありたかったんだと思う。
わたしは原作のラストは心中エンドだと思ってるんですよね。ごっちの望んだとおりの「自分と同じ景色をりばちゃんに見せた上での」心中。りばちゃんとごっちの同化。「自分と同じ場所まで来てから死んでほしい」っていうすさまじいまでのエゴです!!
あー映像で観たかったなーこういうごっちとりばちゃんによるピンクとグレー。
別に原作そのまま映像化したら原作超え無理ってそんなことないと思うんですよわたしはね。原作に忠実にアニメ化して原作超えたとの評判が高いパターンも結構聞きますよ。もちろん多少の取捨選択は必要でしょうけど、大幅改変はしない。
小説には小説の、漫画には漫画の、アニメーションにはアニメーションの、実写には実写のアドバンテージってそれぞれあるじゃないですか。例えば小説は見たこともないものを言葉だけで想像させることができるし、漫画は文だと詳細に書かないと伝わらないものを一目で理解させることができるし、アニメは声があって動きがあってよりわかりやすくなるし、実写は架空の物語に現実感を持たせることができるし。
だからやっぱり、実写のアドバンテージを活かした、原作に近い実写が観てみたかったです。
で、今からもっと最低なこと言いますね。
すごい最低なこと思いついちゃったんだけど、わたしの観たかったピングレって岩井俊二作品みたいなやつだったのかも
— いちこ (@1do1ko) 2016年1月11日
これ、自分で書いておきながら、ツイートした後に「あ、本当にその通りだ」と実感して震えたよね……! 全方位に失礼な思いつき。
でも想像が容易でびっくりするんですよ、岩井俊二監督のピンクとグレー!! でもって音楽は小林武史で主題歌もコバタケプロデュースですよ!!
青春の眩しさ痛々しさ、コンプレックスや執着混じりの友情、どこか歪で、なのにあまりにも美しい、優しいのに残酷な世界。
うっわあ観たすぎる……!!
だって岩井俊二は流星のシーン入れるでしょ!? たしかな事など何も無くただひたすらに君が好きでしょ!? 幸福な誕生日パーティをキラキラに描写しておいてつらく激しい喧嘩別れのシーン入れるでしょ!? サリーもりばちゃんも失ったごっちの孤独を描くでしょ!? バーで穏やかに飲んだ翌日にばーんって死体を出してきて容赦なく突き落とすでしょ!? ごっちを失ったりばちゃんの悲しみが画面から伝わってくるでしょ!? そんでまたコバタケが最高にぴったりな音楽流してくるでしょ!?
えっ……どうしよう、
泣いちゃう……!!
まあ妄言はこのくらいにしておいて、原作読み返してBANDAGEとバレリーノでも観ようと思います。バレリーノ録画してまだ観てないんですけど面白いらしいんで楽しみ!!